美容整形というコミュニケーション――社会規範と自己満足を超えて
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によって 谷本 奈穂
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内容紹介 身近になった美容整形 美容整形を実践する「契機」とは 美容整形が「普通の」女性たちに広がっているいま、彼女たちは何をきっかけに身体加工を行っているのか 従来の社会規範や自己満足といった議論を超え、「日常的なコミュニケーションの位相」という新たなパースペクティブと多角的考察を通じて、私たちの身体観に迫る。 ◆書評掲載情報◆ 日本経済新聞2018年9月22日 ◆目次◆ 第I部 メディアにみる社会規範──広告と美容雑誌 1章 美容の科学、自然との共犯──化粧品広告と美容雑誌の分析 2章 老いという病、肌本来という幻想──ミドルエイジ女性向け雑誌の分析 3章 女性の外見に対する社会規範──美魔女を事例に 第II部 美容整形を受ける人々──動機・特徴・コミュニケーション 4章 自己満足の発見と二つの問い 5章 美容整形を望む人々の特徴──自分・他者・社会との関連から 6章 他者とは誰か──女性同士のネットワーク 第III部 美容整形を施す人々の論理 7章 医師とクライアント 8章 医師と医師──専門分野間の壁 出版社からのコメント 「本書の特徴は、身体を個人や社会に属する問題ではなく、諸アクター間のコミュニケーションを通じた 「相互作用」の問題として俎上にあげようとしたところにある。 身体(外見)とは、個人の所有物であり、社会による構築物である。 だが同時に、人と人の間で生成する現象でもあるのだ」 美容整形の契機を、従来の「社会規範」「自己満足」という議論を超え、「身近な同性間のコミュニケーション」に見出した画期的考察。 「美容整形の社会学」のトップランナーが、現代人の身体観・美意識に迫ります! 内容(「BOOK」データベースより) 美容整形が「普通の」女性たちに広がっているいま、彼女たちは何をきっかけに身体加工を行っているのか?従来の社会規範や自己満足といった議論を超え、「日常的なコミュニケーションの位相」という新たなパースペクティブと多角的考察を通じて私たちの身体観に迫る。 著者について 谷本奈穂(たにもと・なほ) 大阪大学人間科学部卒業、同大学院修了。博士(人間科学)。現在、関西大学総合情報学部教授。 単著に『美容整形と化粧の社会学』(新曜社)、『恋愛の社会学』(青弓社)。 編著に『博覧の世紀』(福間良明・難波功士と共編、梓出版社)、『メディア文化を社会学する』(高井昌吏と共編、世界思想社)。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 谷本/奈穂 大阪大学人間科学部卒業、同大学院修了。博士(人間科学)。関西大学総合情報学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る
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本書では「美魔女」批判は女性に対する以下の社会規範が明確になったと指摘している。「若く美しくあれ(性的魅力)規範」「妻・母として機能せよ(良妻賢母)規範」である。「美魔女」は全方位(男、女装タレント、フェミニスト、世間)からの批判にさらされたのであるが(40代なら年相応に老いろ。男にちやほやされたいと望むのはみっともない。老いに抗うのは、イタイ、という厳しい視線)、全方位から賞賛される「女」はそもそも存在するだろうか?メダリスト(アスリート)は上記の2つの規範から逸脱していても賞賛される存在だが、社会が「女性」としての役割を免除してあげるという「規範」に基づいているとも考えられる。「性的魅力」「良妻賢母」を免除される代わりに「日の丸(国体、国家)を背負ってもらう」という規範。そして社会は必ず「感動をありがとう」という既成の常識的な語彙を用いて全体主義の空気を隠す。「美容整形への契機は何か」と問いに対して、『美容整形の契機は、日常の生活に埋め込まれた、女性同士の会話やうわさ話、友人や家族の美容経験である。別の言い方をするなら、女性たちのネットワークにおけるコミュニケーションの中に契機は生じるのである。したがって、これまで美容整形は「外見の競争に参戦するための手段」と考えられてきたが、むしろ女性たちが同性との協同に参加して生じるものといえるだろう。』(P237)と結論付けている。確かに調査結果から導き出されるこの結論は正しいと思う。では、なぜに「女性同士」という関係性において、自分もやったら良かったから、と他人にも薦めるのか。「二重(ふたえ)にした方がもっと良くなるのに」、などと干渉してくるのか?この「友達(知り合い)にかわいい、いいよ、と言ってあげている自分」とは何なのか?ここに何の意味を持つのか?女性は共感する生き物だと言われる。ここでの「いいよ」は、ゆるい共感性から生まれた言葉のように感じるが、背後には男から承認してもらえないあなたを同性である私が承認してあげる、ただし、「一重(ひとえ)」のあなたが、「二重(ふたえ)」の方がより良いとされる外見への認識を持つ、この社会においてスタートラインに立ちたいのであれば、二重(ふたえ)にした方がいいよ。一重(ひとえ)のあなたはスタートラインにも立てていないのだから。」という呪詛を感じる。一見、「いいよ」と共感し合っているように見える発語者がこのことに無自覚であることも陥穽の一つである。
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